テーマ:日本書紀の謎を解く

不弥国、訂正します

あ~~~っ!なんてこったい! 「日本書紀の謎を解く」の前回「あまつみかほし」で 私見を図によって公開した後で、やっぱり wikipediaからの情報だけを利用するのは如何なものか、 直接魏志倭人伝を見ておく必要があるんだろうと 突然思い立ってアマゾンで魏志倭人伝を求めました。 『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭…
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日本書紀の謎を解く・153(あまつみかほし)

次の文章を書き上げるまで時間がかかりそうだから、次の二つの図表を公開します。このように解釈しています。 日本書紀の編纂者たちは「言葉お遊び」の天才です。 2019/06/28. 昨日図をあげて、それで済ますつもりだったのですが、よく考えればそれですむわけがないことに気がつきました。応神十六年に論語…
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なんとか説明用の年表

なんとか昼過ぎに 年表が完成するまでの過程を完成しました。 なんせ四年前のことですから かなり忘れかけている。 それを思い出しながら、 後で見てわかりやすいように説明つけて 作っていきました。 さて、これをブログで説明できるように 修正加工していかなければなりません。 あっ、今気がついた! 今日完成したの…
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年表できたぞ~い!2

年表を作る過程で見えてきたことは倭王武の正体は継体天皇だったことです。 1回目はおそらく天皇位を巡ってライバルが現れたのではないかと考えていますが、ただこのとき二回続けて遣使を送ったのかをどう解釈するか。 二度目は任那四県を割譲したことで新羅が反発し朝鮮半島外交が危うくなったからではないかと思われます。 それと男弟王の…
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年表完成したぞーぃ!

ついに、やったゾォ!年表完成! 登場人物の年齢付き! \\\\٩( 'ω' )و //// 隼人の乱を鎮圧して 王朝を再考させた天皇までわかったぞ! 今伝えられる欽明天皇と重なる人物だ。 おそらく61歳で崩御しています。 ☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆ でも隼人の乱…
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日本書紀の謎を解く・152(カモシカ)

応神十三年九月「一に云はく」条には、年老いた日向髪長媛の父、日向諸県君牛が年老いて故郷に帰るとき、大きな角のついた鹿の皮をかぶって海を渡って行くという不思議な場面が描かれています。 この映像を頭の中に思い浮かべると大変雄大でパワフルなものが感じられます。実際古代の瀬戸内海では立派な角を持った大きな鹿が群れを率いて海を渡る光景が見られた…
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日本書紀の謎を解く・151(大吉備津彦・大吉備津比売)

日本書紀の日本武尊の妃、吉備穴戸武媛は古事記では大吉備建比売となります。この女性にヒメヒコ制で対になる人物を当てはめると吉備の武彦と彦五十狭芹彦命こと大吉備津彦となり、吉備の武彦と大吉備津彦の二人は同一人物だということになります。 ただこのヒメヒコ制をただの兄弟と見るのか、夫婦と見るのか。それで見えてくるもが違ってきます。…
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日本書紀に謎を解く・150 (春日山田皇后)

今まで春日山田皇后についてキチンと説明をしていなかったことに気がつきました。安閑天皇の春日山田皇后が何故継体天皇の妃荑媛なのか。春日山田皇后が継体天皇と安閑天皇の二人の皇后を勤めたことが、どこでわかるのか疑問に思うかたも多かったのではないでしょうか。 説明に入る前に、初めて読まれる方にため、日本書紀の謎を解くの1回目…
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書き忘れやら勘違いやら説明不足やら

アチ(阿知) ウチ(内) エチ(依知) オチ(越智) この変化を子音って書きましたっけか。 もう最近頭が動かなくなって、 右と左も考えないとわからなくなりました。 物忘れがひどい。 一年前までは 日常の生活で物忘れがひどくなっても 日本書紀だけは大丈夫だったんですけど、 最近は吾子籠が思い出せなくなった…
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日本書紀・古事記余話(海の三輪山)

今年5月の連休は、確かめたいことがあったので故郷因島に帰りました。 確かめたいことというのは、大伴磐と狭手彦兄弟のどちらが天皇となった「海人の宰(あまのみこともち)」だったのか考察を進めている時に、ふと、因島の南西に位置する生名島(いきなじま)の立石山(たていしざん)が浮かんだのです。この立石山こそが古代大山神社の御神体で、大山神社の…
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五行陰陽説も

今、吉野裕子さんにハマってしまって 本を読んでるところです。 日本書紀の謎を解くのに 五行陰陽説も必要になってきた見たいなのです。 ああ、分からん!分からんよぉ~ ! これから先は学者さんたちの協力が必要のようです。 お願いがあります。 欽明紀の解読をお願いします。 欽明紀大部分は 対朝鮮半島外交を描い…
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日本書紀の謎を解く・148 (浦島太郎と桃太郎は兄弟だった)

大伴磐と大伴狭手彦兄弟のどちらが天皇となったのか、どちらが吾田君小橋で狗人なのか、記録の解釈間違い等で分身たちが混乱して何度も二人を入れ替えることをしてきましたが、やっとねじれの原因をひとつ見つけられたようです。 今まで五十狭茅(いさち)と五十狭芹(いさせり)を、「五十狭」までが同じなので、分身の数を増やすために一部芹という字を当てた…
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大きな大きなネジレを見っけ!

昨日、天目一命(天目一箇命)について、 もう一度調べ直していて ある大きな勘違いに気がついた。 それから 安寧天皇の読み方がわかった。 これだと犬の海幸彦は大伴磐ってことになる。 猪は大伴狭手彦だ。 猪が犬の目を割くとはどういうことか。 やはり神前皇女を巡った争いか。 そうなると父金村ではなくなる。 父も…
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日本書紀の謎を解く・148(牟士那)

垂仁八十七年春二月 昔、丹波国の桑田村に人有り。名を甕襲(みかそ)と曰ふ。則ち甕襲が家に犬有り。名を足往(あゆき)と曰ふ。是の犬、山の獣、名を牟士那(むじな)といふを咋ひて殺しつ。則ち獣の腹に八尺瓊の勾玉有り。因りて献る。是の玉は今石上神宮にあり。 これは大伴金村が死んだ時の記録と考えています。 丹波国桑田は日本書紀に度々出て…
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日本書紀の謎を解く・147(狭手彦の歌)

以前狭手彦のサデは磐を動かす修羅の意味だと書きましたが、もう一つ意味がありました。漁で使う小網です。さすがは海人の天皇です。万葉集にみつけました。 万葉集 巻第四 六六二(六六五) 網児(あご)の山五百重(いほへ)隠せる佐堤(さで)の崎 さで延(は)へし子が夢にし見ゆる 網児(あご)は吾子籠、佐堤の「堤」は大伴狭手…
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日本書紀の謎を解く・146 (大伴兄弟のねじれを一つ発見)

大伴金村、大伴磐、大伴狭手彦親子の分身を正体を明かすのに、かなり手間取っていますが、ひとつねじれというか私の勘違いがわかったので報告です。 以前応神紀の「倭漢直の祖阿知使主と其の子都加使主」と雄略紀の「身狭村主青と檜隈民使博徳」は同一人物としましたが、ここに大きな間違いがあったようです。 阿知使主と身狭村主青は同一人物でいいと思…
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日本書紀に謎を解く・145(神前皇女の年表の説明)

前回144で神前皇女が伊勢斎宮を引退してから薨去するまでの年表を公開しました。 この年表について、とくに神前皇女を伊勢斎宮から引かせる仁徳三十年の記録について説明したいと思います。 まず仁徳三十年天皇が的臣(いくはのおみ)が祖(おや)口持臣(くちもちのおみ)を遣わして皇后磐之媛を迎えに行く場面ですが、実は伊勢斎宮を務めている神前…
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日本書紀の謎を解く・144(下賜された神前皇女のその後)

少し前のブログで天智天皇三年十二月是月条を紹介しましたが、このとき表面しか出てこない一人の人物、大伴金村だけを取り上げました。そして神前皇女は大伴金村の子供を産み、その子が双子だったため長時間にわたる出産で死んだらしいと結論付けました。 今回はこの時取り上げなかった前半に登場する人物を取り上げたいと思います。この人物の間にも子供がいた…
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また戻ってきてしまった!

嗚呼、今再び起点のオケ王、ヲケ王のところに戻ってきました。 そういうことだったかと今、静かな驚きが私を支配しています。 以前この日本書紀は仏教の輪廻の思想を取り入れた構成となっていると言いました。 否定はしませんが、 当時の人の深層にある世界の理解の仕方、 古代の聖なる形ウヅ(渦)になっていると言ったほうがいいような気がし…
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日本書紀の謎を解く・143(秦氏を訂正)

140で滋賀県東近江市に一大拠点を持っていた依知秦氏について、私なりの考えを述べさせてもらいました。そして依知秦氏の正体は倭漢直阿知使主を分身とする大伴金村だとしましたが訂正を入れさせてもらいます。依知氏は大伴金村が半島から連れてきた一大技術者集団ですが、秦氏は別だということです。秦氏の正体こそ天皇家なのです。 実はかなり前には秦氏こ…
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日本書紀の謎を解く・142 (羿)

また隼人の乱の首謀者のキーワードに中国の神話の登場人物を利用していたことがわかりました。それは羿(げい)という人物です。 Wikipediaによると、羿(げい)は中国の聖帝堯の時代の伝説として登場します。羿は弓の名手で、古代世界には太陽が十個あって灼熱地獄だったのを、そのうちの九個を弓で撃ち落…
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141を訂正

日本書紀の謎を解く・141(日本武尊の妃、再考)の一番最後を追加で訂正しました。
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ホムタ、嗚呼勘違い!

数回前の「日本書紀の謎を解く」で 応神天皇のホムタについて私の説を述べましたが 勘違いをしてました。 応神天皇のホムタがリアルな名前なので、 朝鮮半島に進出し、高句麗の好太王と戦った 偉大なる天皇ホムタの名前が、 人々の間に口伝えで伝えられ、 それが日本書紀に中に取り入られ その上に継体天皇とか海幸彦などの 複数の…
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日本書紀の謎を解く・141(日本武尊妃、再考)

この「日本書紀に謎を解く」を書き始めて、かなり初期の段階で日本武尊の妃について表を使って考察しましたのですが、隼人の乱の姿が徐々に見てきて、それまで漠然とのちに天皇となる息長氏を琵琶湖東岸を支配する部族だと考えていたものが、実は大伴金村、磐、狭手彦たち隼人を表す記号のようなものだとわかってきました。 記紀の編纂者たちが日本を守護する神…
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吾妻はや

昨日、夕ご飯を作りながら、ふとわかったことがあります。わかったら、もう面白くて思い出してはクスクス笑ってます。 日本書紀、日本武尊が碓氷峠まで至ったとき嵐の海に落ちていった弟橘媛を偲んで言った言葉。「吾妻はや」。この言葉が元になって、碓氷峠から東側を吾妻(あづま)というようになったというわけですが、本当の意味は、「我が妻はハヤだぁ~~…
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日本書紀の謎を解く・140 (三輪山の大物主神の正体)

訂正を入れたいと思います。 少彦名命(すくなびこなのみこと)を失い気落ちした大国主神の前に、遥か海上を渡って現れた光に、「汝は是誰ぞ」と大国主神が問うたところ、その光は「吾は汝が幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)なり」と答える有名な場面についてです。 以前のブログで私は「吾は汝が◯魂」というところから倭の三輪山に祀られた神は大国…
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焦る、焦る

ああ、もう! 書かなければならないことが たくさんありすぎて焦ります。 伝え忘れが沢山あって 私の説明を読んでも わからないところが あるのではないでしょうか。 私も何を伝えたのか、 何を伝え忘れたのか わからなくなってしまっています。 訂正もあるのですが そこまで手が回りません。 その一方で見えてく…
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先入観なく歴史資料を、直接読む

ここ何度かコメントで 古代史に謎を解くヒントとなる本の紹介をいただいてます。 ありがとうございます。 でも今 なんの先入観もなく頭の中を白紙にして 歴史資料に向き合うことの重大さを 噛みしめているとこなんですね。 他人がどう考えているかは どうでもいいことなんですね。 まず私が自分の目で直接歴史資料読み込んで …
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日本書紀の謎を解く・139(蘇我馬子は里子か)

吉備の媛をめぐる大伴親子を見ていると、大伴金村と海幸彦(まだ名前は言わないこととする)は本当に親子なのかという疑問がわいてくることがあります。実は突然、欽明紀のある記録の意味がわかって、「やはり実の親子ではなかったか」と思うことがありましたので説明をしたいと思います。 この記録は欽明六年是年条と七年是年条の、高句麗(なぜか高麗)の国で…
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日本書紀の謎を解く・138 (牛頭天王と蚩尤)

記紀の編纂者たちが隼人の乱の首謀者たちの分身を創作していく上でベースにしたとしたと思われるものを紹介したいと思います。 かなり前になりますが、雄略紀に登場する阿閉臣国見の又の名、醜特牛(しことひ)を見たとき、応神十三年九月「一に云はく」条に記される日向の髪長媛の父、日向の諸縣君牛(ひゅうがのもろのあがたのきみ・うし)を指しているのだろ…
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