テーマ:日本書紀の謎を解く

日本書紀の謎を解く197・近江毛野臣

継体天皇二十一年に登場する近江毛野臣と天智天皇二年三月に登場する上毛野君稚子、天武天皇元年七月に登場する近江の将壱岐史韓国は同一人物と見ている。内容はまだうまく整理ができていないのだが。
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日本書紀の謎を解く196・雄略と武烈と反正、欽明は同一人物である

雄略天皇と武烈天皇と反正天皇、そして欽明天皇は同一人物である。 ただし雄略天皇の有徳天皇と武烈天皇の為人の前半部は安閑天皇である。雄略天皇は安閑天皇(有徳天皇)と木之花開耶媛が産んだ火焔皇子(大悪天皇)でできている。 この火焔皇子について、今まで訂正を先延ばしにして、曖昧なままにしてきたので今回はっきりとしておきたい。今まで記紀スト…
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日本書紀に謎を解く・倭人伝

昨日のニュース。桓武天皇の父、光仁天皇が竹に入れた酒を飲んで長生きをして、六十歳を過ぎて遂に天皇となったという故事にちなんだ行事が縁(ゆかり)の寺であったそうだ。 それを聴きながら「ああ、やっぱり光仁天皇は継体天皇で、桓武天皇は安閑天皇、自殺した弟の早良親王は厚皇子だったんだな。」と思った。竹も酒も隼人を表すからだ。継体天皇は南九州の…
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日本書紀の謎を解く194・難波の堀江

父と子とされる蘇我稲目と蘇我馬子は同一人物である。それは欽明十三年十月の記録と敏達十三年九月の記録が酷似しているからである。 以上によれば欽明紀と敏達紀と扶桑略記と、仏法が日本へ伝えられた記録は三つあることになる。私はこれらの記録を全て同じ時の記録と考え、この時期を私は継体天皇の時の出来事と考えている。欽明紀も敏達…
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日本書紀の謎を解く193・巴

肥前国風土記にある大伴狭手彦と弟日姫子(万葉集では佐用姫)の物語同じ内容を記す記事がもう一つ欽明紀にある。欽明六年十一月条である。膳臣巴堤便は大伴狭手彦ももう一つの名前である。Wikipediaによれば穂積押山の子供に穂積磐弓、穂積巴堤がいる。大伴金村の子供は宣化紀から大伴磐、大伴狭手彦がいることがわかる。穂積押山と大伴金村が任那四県割…
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日本書紀の謎を解く192・四道将軍派遣

崇神十年七月条に記される四道将軍派遣の詔が出されたのは西暦513年の出来事である。出発はその年の十月となる。安閑天皇五十三歳の年。父継体天皇が崩御し称制を開始してから十年目のことである。 この四道将軍の記録に関連すると考えられる記事が景行五十三年八月条の記録である。景行天皇が子の日本武尊を偲びたいと東国巡幸の詔を出し、この月に東国に向…
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日本書紀の謎を解く191・馬毛の訂正

以前青い毛の馬を青鹿毛と理解して人物を分析したが、そのあともう一度馬毛をインターネット(Umas.club)で調べると、青毛は全身黒の毛の馬のことだった。青鹿毛は全身は黒だが目や鼻、下腹部など柔らかい部分が褐色になっている馬をいうのだそうだ。大きな勘違いだった。 しかし、このことがわかって、以前からあった疑問が解けた。 大蔵省の役人…
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日本書紀の謎を解く190・もう一人のヲマロ

肥前国風土記にはもうひとりのヲマロが登場する。 石鬱比袁麻呂である。 摩利支天に例えられたヲマロという人物の正体を考えてみた。 ここでも、またしても大伴金村(父)と大伴磐(子)どちらかわからない。 金の鵄を単純に金村としたのがいけないのか。 出雲国風土記で枳佐加比売が選んだ金の弓箭を金村としたのがいけなかったのか。 …
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日本書紀の謎を解く189・ヲマロ

仁徳六十五年に出てくる宿儺とヲマロは摩利支天に似ている。ヲマロは同じ読み方の人物を同一人物と仮定して、日本書紀中から抜き出していったものである。孝徳大化二年の紀麻利耆陀、孝徳白雉元年の紀臣乎麻呂岐太と見たときに、不意に摩利支天を思い浮かべたのである。そこでヲマロという名前ではないが麻理勢もあげてみた。 また宿儺が少彦名神を表してい…
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日本書紀の謎を解く188・二つの皇子産(みこうみ)の石

鰐と鯨と並びに石と化為れり。(逸文・『壱岐国風土記』鯨伏郷) 猪を追ふ犬の像、其のかたち、石と為りて猪、犬に異なることなし。(『出雲国風土記』意宇郡宍道郷) 鰐と鯨、猪と犬、どちらもともに石になるとはどういうことか。 二人いると見せかけて、実は同一人物だと編纂者たちは言いたいのか。 結論として、 この意味は息長足比売が腰に…
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日本書紀の謎を解く・187神前皇女をめぐる四人の男たち

万葉集 巻十一は神前皇女をめぐる四人の男たちの想いがテーマのようです。 安閑天皇(勾大兄皇子・日本武尊)、大伴金村、大伴磐、大伴狭手彦四人の男。 それを示すのが、この巻十一の最後に示される四つの歌です。 衣は衣通郎姫のこと。 舟は舟史(ふねのふびと)、王辰爾のことかと思われます。王辰爾が王仁(わに)と同一人物だというのは過去のブ…
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日本書紀の謎を解く185・「・」は同一人物か

直感的にですが、以前から日本書紀の二人の人物の間にある「・」は同一人物を意味するのではないかと考えています。それを示すのが仁徳紀に登場する的臣と小泊瀬の造の祖賢遺臣ではないかと思うのです。ただ、こうなると父と息子が一緒になってしまうのです。父なのか、息子なのか。父なのか兄なのか。 ギブアップですねぇ。この先は頭の良い人にお願いしなけれ…
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日本書紀の謎を解く184・事代主神の入り婿

神功皇后紀には次のような文章があります。これは日本書紀の謎を解くためのヒントではないかと直感的に考えて、次のような解釈をしました。 ここから見えてくるのは、事代主神は三年間海神の娘と暮らした山幸彦、古事記では虚空津彦(そらつひこ)と同一人物だということ。ということは海神の娘豊玉姫は摂津国三嶋の玉櫛姫と同一人物、海神は溝橛耳神ということ…
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日本書紀の謎を解く183・鯨男と鯨女

午前中、ちょっと写真に撮りたいものがあったので尼崎の坂部にある伊居太神社(いこたじんじゃ)まで運動不足解消に歩きに行ってみた。 二時間。往復四時間。 撮りたかったのは、これ。 この神社氏子を記した石碑である。大隅◯◯。大隅半島の大隅である。これに気がついた時は衝撃だった。wikipediaには「大和国宇智郡郡(現五條市…
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日本書紀の謎を解く182・虚空津日高から

仁賢紀の日鷹吉士と肥前風土記の鏡の渡の雰囲気が酷似しているのですが、この表の人物が大伴狭手彦かどうか、まだ自信をもって言えません。ただ、この表の人物が大伴狭手彦なら、彼は日向隼人で、大伴磐の方が吾田隼人、吾田君小橋、狗人いうことになります。さて、どうなんでしょう。 これだけ情報があって、まだ答えが出ないの?って笑われそうですね。 …
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日本書紀の謎を解く181・訂正 日本武尊の妃

昨日、日本書紀を読み直していて、日本武尊の妃を訂正するのを忘れていたことを思い出しました。息長田別王を生んだ一妻を神前皇女としていましたが、息長は潜水をする海人、水鳥を表すので隼人です。ということは弟橘媛と吉備穴戸武媛ですがタワケをしたとすれば、吉備穴戸武媛と同一人物ということになりました。
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日本書紀の謎を解く180・神前皇女の運命

倭迹迹日百襲姫命が伊勢斎宮の神前皇女だというのは、すでに述べたとおりです。この不思議な名前について過去にも述べたのですが、これが正解なのかなと、思います。日本武尊(安閑天皇)から死ぬまでの短期間に、三人の男性の間をたらい回しにされたのではないでしょうか。阿曇連百足と葛城襲津彦はまだどちらがどちらとは自信を持って言えません。まだでんぐりか…
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日本書紀の謎を解く179・オノゴロ島の正体

最近テレビの内容からヒントを得て、日本書紀の謎が解けることが続いています。 まず先週のNHKのブラタモリの青森の男鹿半島編から見えてきたことです。 この番組の中で秋田美人がなぜ生まれたのか、 いくつかその理由について述べられていたのですが、 その項目の中にロシア人の遺伝子が入っているから、などと わけのわからない理由を言ったの…
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日本書紀の謎を解く178・播磨国造速待は大伴磐

勘違いにやっと気がつきました。仁徳十六年桑田玖賀媛(神前皇女)が下された播磨国造速待を狭手彦としていましたが嫌われたのは大伴磐でした。 播磨国風土記・安師の里。このカードをよく読んでみると皇女に拒絶されたのは磐の方で、三形の方に流し下したまひき、とあります。三形は宗像です。それは逸文・筑前國風土記の宗像郡でわかります。しかし再び磐が狭…
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日本書紀の謎を解く176・大嘗祭の秘儀

大嘗祭の秘儀について私の私見を簡単に、本当に簡単に述べさせてもらいます。 日本書紀の神代第九段本文に、こうあります。 その矢落ちて、則ち天稚彦(あめのわかひこ)が胸上(たかむなさか)に中(た)ちぬ。 時に、天稚彦、新嘗(にひなえ)して休伏(ねふ)せる時なり。 秋に収穫された穀物を神に捧げて、国の安寧を祈り五穀豊穣…
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日本書紀の謎を解く175・中臣烏賊津使主と的臣は同一人物

天皇の命令で妃を連れて戻るまで、じっと庭に伏せていたと言う物語が似ている允恭七年十二月条と仁徳三十年十月条。この二つの記録に登場する中臣烏賊津使主と弓の名手的臣(いくはのおみ)はやはり同一人物でいいようです。このように考えました。仁徳紀の方に記される「一に云はく和珥臣の祖口子臣」は謎を解こうとする人たちを惑わせるために記されたものかもし…
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日本書紀の謎を解く174・栄える話と滅びる話

風土記には何度もよく似た話が出てくる。 そのひとつが餅を作って的にすると、餅が白い鳥になって飛んでいくという話である。 よく読んでみると、白い鳥によって栄える話と滅びる話がある。 これらの記録から、このようなことを導き出してみた。
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日本書紀の謎を解く173・口持臣と口子臣

仁徳三十年十月条に登場する的臣が祖口持臣と和珥臣の祖口子臣について。 この仁徳三十年十月条の記録と允恭七年冬十二月の記録がよく似ているように思えるのですが、 中臣烏賊津使主と的臣が同一人物か正直答えを出す自信がありません。 的臣と和珥臣が同一人物を意味するのかも自信がありません。 というのも日鷹吉士を狭手彦としていいのかがわから…
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日本書紀の謎を解く172・因島村上の青影城

今年2019年6月5日「海の三輪山」で故郷について書いたのですが、 あれからというもの故郷因島のありとあらゆるものが 隼人に関係しているような気がしてしかたない。 一番気になるのが中世この島を支配した因島村上の居城「青影城」だ。この城は水軍の島としては大変珍しい山城だ。 当然ながら天守閣などない。正確にいうと砦だろうけど。 …
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日本書紀の謎を解く171・蚕、繭、マヨワ、しただみ

日本武尊の妃、吉備穴戸武媛の生んだ二人の子供について。兄の武卵王は日本武尊の子供となっていますが、大草香皇子と吉備穴戸武媛との間にできた子供だと考えます。実は狭手彦との間にできた不義の子供です。弟の十城別王が安閑天皇との間にできた子供だと考えます。火焔皇子のことです。しかし、この子も不義の子供です。 この8歳そこそこの眉輪王とまだ成人…
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日本書紀の謎を解く170・欝色雄命と伊香色雄命は同一人物

欝色雄命と伊香色雄命は同一人物である。 伊香色雄命は伊香色謎命と対になるので短絡的に兄弟だと思っていた。しかし日本書紀と古事記の記事をよく読み直すと伊香色雄命は他の欝色雄命や欝色謎命、伊香色謎命との関係が明らかでないことがわかる。 伊香色雄命は誰なのか。伊香だから中臣烏賊津使主だろう。逸文・近江国風土記から彼が神前皇女との間に子をな…
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日本書紀の謎を解く169・木花之開耶姫は吉備穴戸武姫

木花之開耶姫は弟橘媛よりも先、神代に登場するので、すっかり騙されていたが、木花之開耶姫の父、大山祇神の生まれが丙辰年(西暦476年)であってるなら、木花之開耶姫の正体は実は傾国の美女吉備穴戸武姫となる。 大山祇神が丙辰年なら継体天皇一行が筑紫に降ってきたとき、彼女はまだ生まれてないか、幼すぎて、とても勾大兄皇子の妃にはなれないのである…
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日本書紀の謎を解く168・宣化天皇の正体

宣化天皇の正体について目の調子がかなり悪いのでカードだけ紹介します。当然ですが宣化天皇は安閑天皇の本当の弟ではありません。義兄弟の契りを結んだということです。太上天皇になったのは日本書紀の宣化天皇の在位時期でいいと思われます。
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