日本書紀の謎を解く・102(品它真若王)

五百城入彦皇子と志理都紀斗売の間に生まれた品它真若王についてさらに述べると、この古事記の応神天皇の妃皇子女の記録に真若王という同じ名前の人物が三人登場する。

①品它真若王(ほむだまわかのみこと)

②伊奢之真若王(いざのまわかのみこと)

③伊奢能麻和迦王(いざのまわかのみこ)

日本書紀の記録には②伊奢之真若王のみの記録で①と②の記録はない。②伊奢之真若王は日本書紀では伊奢(いざ)が去来と書き換えられ去来真若皇子(いざのまわかのみこ)と記される。

品它真若王 → 伊奢之真若王 → 去来真稚皇子

これについて私の情報カードを公開する。
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「去来」と書いてイザと読む人物が二人いる。
日本書紀では応神天皇が角鹿の笥飯大神と名前を交換する前の名前が去来紗別尊。交換した後が品陀和気命。二人目は履中天皇の和風諡号が去来穂別天皇である。この二人の宮の名前は稚桜宮で同じである。


さて、私は何を言いたいのか。答えはまだ先にしておく。
なぜなら、この品它真若王の母親が志理都紀斗売だとすれば前回の101で述べたように彼女は播磨国造速待に下されたということになる。そして紹介した万葉集の歌がまさにその時の歌だとすれば彼女は播磨国造速待こと藤原鎌足のものになったというわけだ。
古代に詳しい人ならよくご存知の話だが、藤原鎌足の子供不比等は天智天皇の御落胤だという説がある。だから今はまだ答えは出せない。さらに答えを出せない理由として、他に候補がいるからだ。

引っ掛けかもしれないので慎重に調べていかなければならない。と同時に安閑天皇崩御後の二朝並立、隼人の乱の様子が早く見えるようにならなければならないだろう。

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