安閑天皇 は 日本武尊
勾大兄皇子の名前は何だったんだろうかとずっと考えていて
とんでもないところに行き着いた。
びっくりしてはいけない!
勾大兄皇子(安閑天皇)=ヤマトタケルノミコト(日本武尊・倭建命)
現在では、ヤマトタケルノミコトは実際にいた人物ではなく
日本の国が作られていくときの、名もない幾多の英雄たちの総称として
この人物像が作られたという説が今では一般的だ。
しかし、私はヤマトタケルノミコトは安閑天皇のことだとだと断言する。
安閑天皇の和風諡号 広国押武金日天皇(ひろくに おしたけ かなひ すめらみこと)
これは一種の天皇の戒名のようなもので
本当の名前を一文字入れて、
その天皇がどのような人だったのか表している。
で、この天皇の名前の部分は武(たけ)だろうと推測されているらしい。
埼玉県稲荷山古墳から出土した鉄剣に刻まれた大王・獲加多支鹵(ワカタケル)が
磯城嶋宮にいることから獲加多支鹵とは雄略天皇ではなく欽明天皇のことで、
安閑天皇の和風諡号のなかに武の文字が入っているから兄の安閑天皇はタケルで、
弟の欽明天皇はワカタケルだと推測されるのだとか。
つまり勾大兄皇子の名前は、武皇子(たけのみこ)もしくは(たけるのみこ)
父・継体天皇のもう一つの名前が彦太王と記されているので
勾大兄皇子の正式な名前は彦武王(ひこたけのみこ)。ヒコは尊称。
常陸国風土記では「倭建天皇(ヤマトタケルのスメラミコト)」となっている。
なんと、ヤマトタケルは天皇なのだ。
そこで景行天皇紀をもう一度読み直していた。
読み直して、びっくり。
はっきりいって、そのまんま継体天皇、安閑天皇ごっちゃまぜ。
継体天皇、安閑天皇の謎を解くヒントがめちゃくちゃ詰め込まれている。
なにより一番最初に驚いた、というか飛び上がるほど嬉しかったのが
継体天皇が勾大兄皇子に譲位をする場面を景行天皇のなかに見つけたこと。
な、なんと景行天皇のところに潜り込んでた!!
現在の人ができるだけわかりやすいよう書いてみます。
「今我、汝を見るに、人となり、身体高く大きにして、容貌端正し。
力強く鼎をあぐ。猛きこと雷電のごとし。
向かうところにかたきなく、攻むるところ必ず勝つ。
即ち知りぬ。形は我が子、実は神にましますことを。
まことに是、天の、我が不叡くして、また国の乱れたるを悲しびたまひて
天業(あまつひつぎ)をととのえしめたまひ、宗廟を絶えずあらしめたまふか。
亦是(こ)の天下は汝の天下なり。是の位は汝の位なり。
願わくは深く謀りて、かだましきを探り、背くを伺いて、
示すに威(いきほい)を以ってし、懐くるに徳をもってし、
兵甲(つはもの)を煩はさずして自ずからに臣隷(もうしたが)はしめよ。
即ち言を巧みて、暴ぶる神を調へ、武(たけきこと)をふるひて、姦(かだま)しき鬼をはらへ」
「亦是(こ)の天下は汝の天下なり。是の位は汝の位なり。」と景行天皇はいいながら
息子の日本武尊が先に死んでもその後も生きるのです。
おかしいじゃありませんか。
これは、まさに継体天皇が息子の勾大兄皇子に譲位をするところです。
こう遺言して継体はその日のうちに崩御します。
これが正しければ、秦の始皇帝に倣い
日本を真の統一国家にするというビジョンを継体天皇が描き
それを安閑天皇が実行していったということか。
ついで古事記の景行天皇のところも読んでみた。
もー、びっくりぽんやっ!
三重村に到ります時に、また詔りたまはく
「我が足、三重の勾の如くにて、いたく疲れぬ」
なんと、「 勾のごとく」にて!
考えすぎかもしれんが・・・・・σ^_^;
いや、考えすぎなどではない!
それから、日本書紀・景行天皇四年には妃と子供の話が出てくるのですが
たくさんの子供がいながら、景行天皇は
日本武尊(やまとたけるのみこと)と
稚足彦天皇(わかたらしひこ・すめらみこと)と
五百城入彦皇子(いおきいりひこのみこ)の三人を
自分の手元に残すのです。
古事記の景行天皇のところでは、
若帯日子命(わかたらしひこのみこと)と
倭建命(やまとたけるのみこと)と
五百木之入日子命(いおきのいりひこのみこと)、
此の三の王は太子となりぬ。とあります。
天皇の三人の皇子が皇位継承権をもっているようです。
何処かに似たような話がありました。
継体天皇の三人の息子です。
古事記の継体天皇のところを読むと
天国押波流岐広庭命(欽明天皇)は、天の下治らしめしき。
次に広国押建金日命(安閑天皇)天の下治らしめしき。
次に建小広国押盾命天(宣化天皇)の下治らしめしき。
稚足彦天皇(わかたらしひこ・すめらみこと)は欽明天皇
日本武尊(やまとたけるのみこと)は安閑天皇
と五百城入彦皇子(いおきいりひこのみこ)は宣化天皇とすると
順番まで同じです。
ここで面白いのは安閑天皇、宣化天皇、欽明天皇の兄弟関係です。
景行天皇のところでは
稚足彦天皇(わかたらしひこ・すめらみこと)と五百城入彦皇子(いおきいりひこのみこ)が同母。
つまり欽明天皇と宣化天皇が同母兄弟だということになります。
継体天皇のところでは
安閑天皇(日本武尊とすれば)と宣化天皇(五百城入彦皇子とすれば)が同母。
どちらが正しいのでしょう。
元興寺縁起の仏教徒来年のところで宣化天皇は架空だと証明していますので、
どうでもいいことになります。
稚足彦天皇(わかたらしひこ・すめらみこと)=欽明天皇と
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)=安閑天皇は母親違いの兄弟、それだけのことです。
ただ、稚足彦天皇(わかたらしひこ・すめらみこと)の名前なのですが
タラシヒコもスメラミコトも 両方天皇を意味する言葉です。
「若い・天皇・天皇」って言ってるようなもんです。
具体的な名前ではありません。
それにヤマトタケルノミコトの息子に稚建王(わかたけおう)がいる。
まるで、ことらのほうがワカタケルみたいだ。
煙に巻かれてるみたいだ。
ここのところ古事記や日本書紀ばかり読んでますが
意外にも古事記のほうに歴史の真実が隠されているような気がします。
為政者によって歪められた歴史を、為政者に気づかれないように
真実を解く鍵を古事記のなかに忍ばせてくれている。
古事記が継体天皇の在位年を
勾大兄皇子の年齢で現してくれていることに気がついてからは
一層その思いを強くしています。
例えば・・・・・
景行天皇三年に出てくる武内宿禰の父親・屋主忍男武雄心命(やぬしおしをたけをごごろのみこと)。
父親は、彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)です。
系図にすると 彦太忍信命 ー 屋主忍男武雄心命 ー 武内宿禰 となります。
継体天皇のまたの名、彦太尊。
安閑天皇の和風諡号、広国押武金日天皇
彦太忍信命 、 屋主忍男武雄心命、なんだかそっくりです。
武内宿禰は、景行天皇、成務天皇、仲哀天皇、応神天皇、仁徳天皇の五代の天皇に仕えた名宰相。
安閑天皇が武内宿禰を産むというのはおかしいから、
安閑天皇のもとで力をつけてきた豪族ってことになると考えてみた。
そうすると安閑天皇(宣化天皇は架空だと証明されたので)の晩年、
大臣となったのが蘇我稲目。
もしかすると蘇我氏のことかな???
安閑・欽明・敏達・用明・崇峻・推古、これでは六代に仕えたということになるが
蘇我氏が天皇の外戚として大きな影響力をもったと考えられるのは欽明天皇以下五代。
乙巳の変で一方的に蘇我氏は悪役を負わされてしまっているが
実はそんなことはなく、代々名宰相を出した一族だった。
持統天皇に都合がいい歴史を強制的に作らされた編者たちが
蘇我氏を名宰相武内宿禰として記紀のなかに蘇らせた。
○○○ 実は △△△っていう人物設定は歌舞伎の時代物によくある。
そうすることによって為政者の批判をしたのだ。
それから、景行天皇のヤマトタケルノミコトのところを読んでいて
安閑天皇の妃たちも少し疑わしくなって来た。
春日皇后こそ継体天皇の本当の皇后かもしれない。
もしかすると、私が感動した勾大兄皇子の春日皇女への愛の歌
あれは 継体天皇が和珥臣河内の娘をに贈った歌かもしれない。
そして宣化天皇の皇后が安閑天皇妃かもしれない。
今、そこんところを考え中。ノートとって整理しなくちゃ。
なかなか手の込んだパズルだわ!! (; ̄ェ ̄)
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