継体~欽明紀年の謎を解く・ピッタリはまった!樟葉宮、筒城宮、弟国宮

継体天皇がヤマト入りする前に置いたという四つの宮。
樟葉宮、筒城宮、弟国宮、磐余玉穂宮。
何年に遷宮だとか、どうせいい加減だと思っていたのだが
なんとなく、私の年表に当てはめてみた。

そしたら、ビックリポンやっ!!
ピッタリとはまったではないか。

画像

清寧天皇二年、逃亡二皇子の発見(古事記)
ヲホドが近江から招請され、それを播磨の国で聞きつけた億計王が名乗り出た。

二人の間にすぐに対立が始まり、
戦いを予感したヲホドは宇治川、淀川の水運を抑えるべく、
いち早く樟葉に宮を置いた。ここは軍馬となる馬の放牧場でもある。

(対立とは全然関係なく淀川水系を支配するべく最初から宮を置いたかも)

戦いが始まりそうになり
製鉄の産地を抑えるべく筒城宮を置いた。

水運、軍馬、武器をいち早く抑えたヲホドだが
葛城氏をはじめとするヤマトの旧勢力と播磨の豪族を相手にして
西から南から攻められては、ひとたまりもない。
おそらく樟葉宮も落とされ、弟国宮へ後退せざるを得なかったのだと思う。

しかし、ヲホドには勝算があった。あの王では数年もつまいと。
下手に体力を消耗するより、内部崩壊を待つことにした。
戦わず勝つ。停戦を申し入れ、億計王に一旦皇位を譲った、
ということでしょうね。

継体天皇のファンの方には悪いのですが磐余玉穂宮は、
私の年表では息子の安閑天皇の宮ですね。
日本を最初に統一国家とした大王の中の大王、安閑天皇です。 \(^o^)/


古事記の賢崇天皇在位8年で合ってたようです。
古事記って意外に本当のこと書いてます。

それから、ふと思ったんですが
億計(オケ)って飼い葉桶のオケだったんでしょうか。
億計王は影でこう言われてたのかもしれません。



"継体~欽明紀年の謎を解く・ピッタリはまった!樟葉宮、筒城宮、弟国宮" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント