日本書紀の謎々を解く312・八束水臣津野命は素戔嗚尊

出雲国風土記にのっけから登場する八束水臣津野命(やつかみずおみづのみこと)は実は素戔嗚尊のことで、そのややっこしい名前で素戔嗚尊正体を教えてくれているのである。

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八束水臣津野命は大国主神の祖父にあたる。記紀の記録の原資料がわずか六十年ほどの記録だったとすれば、各氏の系図上の人物は同一人物と考えていいだろう。ということは八束水臣津野命は大国主神と同一人物としていい。
同じ出雲国風土記に大穴持命(日本書紀では大己貴神・大国主神)が越の八口を平らげる記録がある。八つの口があることは頭が八つ、首が八つということである。つまり古事記の「古志の八俣オロチ」(八岐大蛇)をやっつけたということである。
また八束水臣津野命が「八雲立つ」と詔(の)りたまひき」とあるが、「八雲立つ」といえば素戔嗚尊が奇稲田姫と結婚して歌った歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごめに 八重垣作る その八重垣を」のことと考えていいだろう。
越の八岐大蛇を成敗して、「八雲立つ」とくれば、素戔嗚尊以外あり得ないだろう。
以上のことから八束水臣津野命のどう見ても暗号文のような名前は、素戔嗚尊の正体を明かしてくれるのだと考えた。

そこでこの名前を「八束」「水臣」「津野」三つに分解した。

実はかなり前にも、この名前を暗号だろうと直感して解読しようと試み、ブログに書いたことがあるが、その当時はまだまだ見えてないことも多く、今思うと恥ずかしい内容になっていると思う。
「八束」「津野」はわかっていたが、最後に「水臣」だけがずっとわからなかった。それが最近になってサンスクリッとで水を閼伽ということに気がついて、やっと解読ができて今回発表できることとなった。

八束は八掬脛のことである。八掬脛は孝徳白雉四年五月条に登場する高田根麻呂である。素戔嗚尊は根の国を治めるので根麻呂である。継体天皇妃の親に根王という人物がいる。この娘が産んだのが兎皇子(酒人公)と仲皇子(坂田公)である。この二人の皇子も根王の正体を説明してくれていると考えている。つまり坂田耳子王の可能性があるということである。
また高田といえば宣化天皇(檜隈高田皇子・武小広国押盾天皇)がいる。この人物はひとりは安閑天皇。妃の名前から天皇になる以前の日本武尊の時代を表している。もう一人は神前皇女と結婚して天皇家の一族になり、安閑天皇の義理の弟となった人物を意味している。宣化天皇の和風諡号を使って、いろんな人物名として使われているようだ。広国、国押、盾である。国押は和珥臣の祖、天足彦国押人命などである。
水臣水はサンスクリット語で閼伽(あか)というので赤で表す人物。
一部を上げると、蘇我赤兄や吉士 長丹(ながに)、そして水の江浦の嶋子と出雲国風土記に登場する、これも暗号文、赤衾伊農意冨須美比古佐和気能命(あかふすまいぬおおすみひこさわけ)である。
水の江の浦の嶋子正体は、逸文・伊勢国風土記の的形浦から的臣(いくはのおみ)盾人である。的臣は欽明紀には烏胡跛臣と記されているので彼が八咫烏だとわかる。また的臣の名前は盾人。宣化天皇の和風諡号のなかに盾が入っている。
次に赤衾伊農意冨須美比古佐和気能命の名前を分解すると赤衾と犬と大隅彦と佐と和気となる。
赤衾の意味が正直今もわからないのだが、赤が神前皇女、衾を包むものとすれば結婚を意味するのかもしれないが、今持ってわからない。
次に伊農は犬である。大隅彦は大隅に拠点がある人物という意味だろう。大隅に関係がありそうな名前を探すと続日本紀、聖武天皇神亀五年に登場する鍛治造大隅という人物がある。そして天武十年十二月条の田中臣鍛師である。この田中臣は推古三十一年是歳条、ついに新羅が任那を併合するという事態に陥って、天皇が新羅を征討しようと軍議を起こしたとき、百済に友好的な姿勢を見せる中臣連国に対して、百済を信用してはいけないと言って対立する人物だろう。だとすれば中臣連国は穂積押山の可能性がある。
また続日本紀、廃帝淳仁天皇、天平宝字七年十二月二十九日条、大隅守に左遷された伊加麻呂がいる。この人物はまた後で。
佐はもしかすると桜のサ、早乙女のサで、稲の霊を意味するのではないか。つまり稲種である。
和気は「八」を意味して、八雲立つの八、八掬脛の八、八咫烏の八、を繋ぐのである。和気はまた「別」が名につく人物も意味していると思う。別と八は同じ意味と考えていいだろう。
次に津野だがツノがつく人物は紀角宿禰など何人かいるが、ここでは賀茂建角身命をあげる。この人物の名前も暗号文だ。この人物は八咫烏だとだとされる。烏という漢字をつかった名前が中臣烏賊津使主がいる。イカは、先ほど述べた大隅守に左遷された伊加麻呂と結びつく。そして烏胡跛臣(的臣)にも結びつく。

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以上のことは播磨国風土記、讃容群の次の記録を証明する。

山の四面(よも)に十二の谷有り。皆、鉄を生(お)ふること有り。難波豊前の朝庭(みかど)に始めて進(たてまつ)りき。見顕しし人は別部犬、其の孫等、
(『風土記 上』監修訳注:中村啓信 角川ソフィア文庫)


鉄 → 犬 → 別









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