日本書紀の謎々を解く254・蘇那曷叱智、都怒我阿羅斯等、天日槍続き

前回(ブログ254)で書き忘れたことがあった。
一つは以前に大伴磐と大伴狭手彦の兄弟の順で大伴狭手彦が兄ではないかと書いたが、やはり大伴磐が兄で大伴狭手彦が弟でいいようだ。

次は、都怒我阿羅斯等は「ツノがある人(角宿禰、賀茂建角身命)」、「大伴狭手彦」意味すると前回書いたが、もう一つ。
「アラヒト」は「安羅人」である。欽明紀ではあたかも朝鮮半島南部にあった小国家の人間ように記されるが、実は大伴狭手彦である。
欽明五年三月条

夫(そ)れ任那は安羅を以て兄(このかみ)とす。唯其の意(こころ)にのみ従ふ。安羅人は、日本府(やまとのみこともち)を以て天(かぞ)とす。唯其の意にのみ従ふ。百済本記云はく、安羅を以て父(かぞ)とす。日本府を以て本(もと)とす。

任那は皇孫(みま)からつくられたのではないかと思う。
また『逸文・摂津国風土記』御魚家にミマナは様々な魚が多い国なので日本の朝廷へ献上する。つまりミマナのミマは魚を意味しているのだ、とあるが、この記録は変だ。日本ほど山の緑が豊かでなく、いかにも乾燥した大陸の一部朝鮮半島で美味しい魚が漁れるとは思えない。実際現在の韓国でも日本の近くで漁れた魚は美味しいと高値で売られるということを聞いたことがある。それに冷凍技術がない古代に、わざわざ日本の朝廷が半島から魚を送らせるだろうか。
つまり任那は日本にあって幼い天皇はそのバックに海人(隼人)がいたということなのではないかと思う。
この記録から思い浮かぶのは古代天皇の御食料「御贄」を納めたという御食国(、いけつくに)淡路島である。
淡路島は反正天皇が何故かこの島で生まれたことになっている。履中天皇の同母弟である反正天皇が何故この島に生まれたのかは説明がない。そしてこの反正天皇の記録で印象に残るのが産湯を使った井戸である。
次に淡路島と井戸で思い浮かぶのが『逸文・播磨国風土記』の速鳥である。この記録では楠木の巨木が井戸の横に生えていて、朝日がさすと淡路島を覆い隠し、夕日がさすと大倭嶋根を覆い隠したという。これは楠木を意味する人物が淡路宮で生まれた幼い天皇を拠り処として最終的に日本を支配したという意味だと思う。速鳥の速は隼人、鳥と楠木とくれば連想するのは天鳥船、鳥磐櫲樟船である。つまり大伴磐が導き出せる。
弟の大伴狭手彦がまず幼い天皇とその母を取り込んで実権を握り、次に兄の大伴磐が幼い天皇を退けて自ら天皇になったのではないかと思う。
弟の狭手彦の記録が応神二十五年に登場する木満致で、幼い王の母と姧けて無礼をしたという部分。兄の大伴磐が天皇となった記録が神功皇后六十五年、叔父辰斯である。
弟の狭手彦が磯城津彦玉手看天皇、兄の狭手彦が大日本彦耜友天皇となる。日本書紀の磯城津彦玉手看天皇の兄弟の記録が複雑怪奇で分かりにくいが、この兄弟の記録で言いたいことは結局磯城津彦の兄が大日本彦耜友天皇だということだけだと思う。弟が先に天皇となり、兄が次に天皇となるというのは顕宗天皇と仁賢天皇と同じである。また顕宗天皇の名前来目皇子から大伴狭手彦の分身が久米直の祖七掬脛、膳夫だとわかる。
また大伴狭手彦は天皇になっていないと考える。それは木満致は天皇となっていないからである。また欠史八天皇のうち大日本根子彦、大日本彦が実際に天皇となった人物を指していると考える。

大伴狭手彦(弟)・・・・磯城津彦玉手看天皇、顕宗天皇(三年)、木満致、
           天穂日命(三年)、水の江浦の嶋子(三年)、虚空津日高命(三年)、七掬脛
大伴磐(兄)・・・・・・大日本彦耜友天皇、仁賢天皇、辰斯王、天稚彦(八年)、紀大磐宿禰

大草香皇子が二年数ヶ月、大伴狭手彦が三年で安閑天皇崩御後六年目が継体紀に記される辛亥年である。ここには天皇、皇子が殺されたとあるが実際は殺されていないようである。
そのあと八年大伴磐が幼い天皇を退けて天皇になったと考えている。この三年と八年の十一年が二朝並立の時期である。ただ大草香皇子も実際は安閑天皇の子ではなく磐か狭手彦の子供なので隼人の皇子となり隼人の王朝は十四年続いたとも解釈できる。
この辛亥年のあと大伴狭手彦は兄の家来となって使えるが、天皇となった大伴磐(紀大磐宿禰)があまりに勝手な振る舞いをするために逃げ出してしまう。そして春日山田皇后の孫が率いる元の朝廷側に寝返って兄の大伴磐を討ち取ったのではないかと考えている。

さらに井戸とミマナをつなげる記録が雄略即位前紀に登場する御馬皇子(みまのみこ)である。彼は戦いで負けて処刑されることとなり、そばにあった井戸を指して「この井戸の水は王となる人は飲むことができない。百姓だけが飲むことができる」と井戸に呪いをかけて死ぬのである。
この御馬皇子(みまのみこ)は皇孫(みま)だろうと思う。つまりこの記録は反正天皇の最後を記している。まだ少し混乱があるが私はこの反正天皇の分身は火のついた産屋で生まれた雄略天皇だと考えている。

もう一度欽明五年三月条に戻ろう。
この記録で本当のことを言っているのが、最後の百済本記の部分である。今まで謎解きをしてきて思うのは、どうやら文注や「一に云はく」に本当のことが記されているようである。
つまり本当のことが書かれているのが「安羅を以て父とす」である。つまり幼い天皇の本当の父は大草香皇子ではなく大伴狭手彦なのである。幼い上に実の父とくれば「唯其の意(こころ)にのみ従ふ。」しかないだろう。


あれやこれや伝えたいことが次から次に出てくるので、乱暴で雑な文章になって読みにくくなったかもしれない。
目が悪いのでササッと書きたいと思うのだが、どうしても長くなってしまう。
風土記の資料などを使って、もっともっと詳しく伝えたいのだが。
なんとなく隼人の謀反の大雑把な流れは分かってもらえたと思う。




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