日本書紀の謎々を解く246・大伴兄弟諍いの原因

大伴狭手彦、大伴磐兄弟の諍いの原因は、やはり神前皇女にあるようだ。
垂仁二年是歳条。都怒我阿羅斯等が本土に帰るときに天皇は赤織の絹を与える。国に戻った都怒我阿羅斯等は赤絹を蔵に納めたが、それを聞いた新羅人はそれを聞いて赤絹を奪ってしまう。任那と新羅の国が互いに恨みをみったのは、この事があってからである。
不思議な話である。
日本の天皇にもらった数反の赤い絹で新羅と任那の間に国家間に争いが起きるというのは、何か信じがたいというか腑に落ちないものがある。
古代日本でどれほどの絹が織れたというのか。それを何故新羅という国が欲しがるのか。
これはやはりある特定の人物を任那や新羅に当てはめていると考えた方がいいのだろう。それなら争いの元になった赤い絹は何意味するのか。
私は先程述べた神前皇女だろうと思う。
都怒我阿羅斯等は大伴狭手彦だというのは既に述べた。大伴狭手彦がいないときに奪われたものは弟日姫子、つまり神前皇女である。
神前皇女の話だろうと思われるのが古事記の雄略天皇のところに記される引田部赤猪子(ひけたべのあかいこ)である。雄略天皇に求婚されたが、いつまで経っても天皇は現れず、そのうちにお婆さんになっちゃいましたという話だ。
赤猪子とは不思議な名前で何を意味するのかいろんな方向から考えていたが、ある日赤猪子は赤絹を意味するもではないかと気がついた。

あかいこ・・・赤と蚕

である。
大伴狭手彦が朝鮮半島に向かう時彼女が別れを悲しむ場面は『肥前国風土記』「鏡の渡り」で、狭手彦が半島に出かけた後彼女が何物かによって奪われる話が「ヒレ振りの峰」である。この「ひれ振りの峰」は倭迹迹日百襲姫命の話に瓜二つである。彼女を奪ったものの正体は三輪山の蛇神だったのである。この蛇神は雷でもあるので大伴磐ということになる。
ただ万葉集中に彼女を巡って三人の男が歌を歌っているのがあるが、一人合わなくなるのだ。
それは万葉集巻第十一の譬喩、2828から2832までの五首である。
衣に寄せて思ひを喩ふ、は衣通郎姫で神前皇女のこと。その彼女に対して弓に喩えられる男、船に喩えられる男、魚に喩えられる男の三人である。
一人多いのである。弓は歌の中身から大伴狭手彦だろうと思う。船は船史王辰爾だろう、王仁と同一人物と考えていい。そして魚は鯨かと思うのだが、まだはっきりとしたことは言えない。
魚に喩えられた人物は、歌の中で八年もの間彼女だけを思ってきて、ついに彼女を奪ったぞと歌に歌っている。つまり魚が『肥前国風土記』「ひれ振りの峰」の蛇、三輪山の蛇神、そして欽明紀の朝鮮半島外交の記録の中で新羅として現れる人物だろう。
鯨は倉下(くらじ)、筑紫国造鞍橋(くらじ)・・・・・
鯨はイサナ、イサナギノミコトか。
船は誰だろう。「我こそまされ」と自信満々な様子は仁徳十六年秋七月条の播磨国造の祖速待のように思えるが。神前皇女(氷上刀売)に拒絶される様子は『播磨国風土記』の讃岐日子思わせる。讃岐日子は大伴狭手彦なのだが。

それからこの兄弟が不和になった理由として、神前皇女の取り合いともう一つ。天皇の寵愛を争ったということもある。







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