日本書紀の謎々を解く240・秋山之下氷壮夫と春山之霞壮夫

古事記にだけ記される「秋山之下氷壮夫と春山之霞壮夫」。この記録が何を伝えようとしているのか随分と悩まされたが、そのうち大伴磐と神前皇女との関係がわかってきて、春山霞壮夫は大伴磐のことを言っているのだろうと少しだけ見えてきていた。
それが万葉集に目を通していて次のような歌があることに気がついた。
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水の江の浦の嶋子と住吉が歌の中にあるので春山之霞壮夫は大伴磐で良かったわけだ。
では秋山之下氷壮夫は大伴狭手彦のことで良いのか。
おそらく下氷は実は下樋のことを言っているのだろうと考えた。この下樋も日本書紀によく出てきて気になる言葉だ。『播磨国風土記』には密樋と書いてシタヒと読ませる記録がある。
伊和大神の子、石龍比古命が妹の石龍日古命と川の水を争う物語だ。石龍比古命は磐龍彦命とも書き、阿蘇山のカルデラに溜まった水を排水して阿蘇一帯を開拓した神である。亀岡盆地に溜まっていた水を抜いて開拓した大山咋命と同一人物の可能性があると考えている。大山咋命は琵琶湖西岸の日枝神社の祭神で猿をこの神の使いとする。猿こと猿田彦は大伴狭手彦らしいということを前日のブログで述べた。
しかし磐龍彦命の文字には磐が入っているから大伴磐ではないかと思われるだろう。
私もずっと考えてきたが、もしかすると神功皇后摂政前紀のこの記録意味するのではないかと思った。

皇后、竹内宿禰を召して剣鏡を捧げて神祇をいのりまさしめて溝を通さむことを求む。則ち当時に雷電霹靂(かむとき)して其の磐を蹴み裂きて水を通さしむ。

つまり竹内宿禰に命令をして磐を裂く、破るのである。
つまり磐龍彦命は磐を表しているのではなく、磐を龍(断つ、絶つ)彦(男)という意味を言っていて、つまり竹内宿禰は兄の大伴狭手彦ということになるのではないか。

また秋山之下氷壮夫は「八年の間に干萎(な)え病み枯れぬ」とあって、この八年は隼人の謀反の後半、辛亥年以後の八年を意味していると思う。
また秋山之霞壮夫が女性を手に入れるために母が唱えた呪文「川の石」「塩」「竹の葉』は大伴磐を表すキーワードである。

また秋山之下氷壮夫と春山之霞壮夫の物語に関連することではないが、この万葉集1741に記される剣太刀(つるぎたち)は大伴磐だったことになる。それなら履中紀の剣刀太子王も大伴磐なのだろうか。それなら「大君を島に放り 船餘り・・・」の私の解釈は間違っていたことになる。
ここはまだ答えが出ないが、もし剣太刀が大伴磐を意味するなら、古事記のこの記録に由来するかもしれない。

是を以ち此の二の神(建御雷之男神と天鳥船神)、出雲国の伊耶佐の小濱に降り到りて、十掬の剣を抜き逆に波の穂に刺し立て、其の剣の前に趺(あぐ)み坐(ゐ)


建御雷神は十掬の剣を抜いて逆さに波の中に刺したてて、其の剣の上にアグラをかいてすわった、というところから剣太刀はきているのか。
違うかもしれないが。


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