日本書紀の謎々を解く239・吉備武彦と吉備穴戸武媛との関係

ヒメヒコ制を考えるために、もう一度吉備武彦と吉備穴戸武媛との関係を見直してみた。
吉備穴戸武媛にとって吉備武彦は父だが、古事記では兄となっている。
これはいったいどういうことなのか。やはり一番最初の頃のブログの中で述べたように吉備穴戸武媛は父がわからない素性しれない女なのか。
私は藤原不比等の娘宮子も彼女の分身ではないかと考えている。彼女は実は不比等の養女でもともとは海人の娘だったという。また日向の髪長媛だとも伝えられる。生まれた子供をすぐに取り上げられたというのも、不義で生まれた子供を我が子として育てようと考えた安閑天皇に取り上げられるというあたりがよく似ている。また不義の噂があったというのも似ている。
また日本書紀では日本武尊の妃吉備穴戸武媛と記されるが、古事記では大吉備建比売となっている。この方法が正しいかどうかわからないが、ヒメヒコ制対称で見てみると、吉備武彦と大吉備津彦二人が浮かび上がる。
はたしてこの二人の男は同一人物なのか。
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そこで吉備武彦が登場する景行天皇のところを日本書紀で確認すると日本武尊の遠征に三人の男が登場する。
吉備の武彦と大伴武日連と膳夫の七掬脛である。ところが古事記では御鉏友耳武彦一人しか記されない。そこからかなり離れて久米直が祖七拳脛が書かれている。
これを下表にしてみた。そして表の中で吉備穴戸武媛との関係も考えてみた。
御鉏友耳武日子は三人の名前を合体させた名前ではないかと考えた。御鉏友は大日本彦鉏友天皇、友から吉備兄媛の兄吉備臣の御友別(みともわけ)、耳は坂田耳子王である。

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こうしてみると面白いことが見えてきた。
吉備津彦(桃太郎)と水の江の浦の嶋子(浦島太郎)は兄弟で、吉備津彦が退治したというウラは浦島太郎のウラだったということになる。
ウラは吉備津彦の放った矢に目を射抜かれる。古事記で大久米は「其の大久米命の黥(さ)ける利目」と記される。また履中元年四月に住吉仲皇子とともに謀反を起こした阿曇連浜子(二人は同一人物)に「死を免して墨(ひたひきざむつみ)に科す」とのたまひて、即日に黥(めさききざ)む。とある。また『播磨国風土記』託賀郡には応神天皇の獦犬の目を猪が割いたと記される。ここで狩の文字を「獦」に変えているが、葛を使うこの字をわざわざ使って葛城襲津彦を暗示しているのだと思う。目が一つしかないというのは鍛冶の神天目一命で、ウラは吉備の製鉄集団を率いていたという言い伝えもある。
大伴磐にそっくりとなる。

さて上で示した表の大伴武日連の「大伴」と「日」、久米直が祖七掬脛の「久米」から何か浮かばないだろうか。
瓊瓊杵尊とともに天下った大伴連の遠祖 天忍日命と来目部の遠祖天槵津大久目の二人、神武天皇の東征に従った大伴氏の遠祖日臣と大久米の二人である。
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大伴武日連は大伴狭手彦、膳夫七掬脛は大伴磐だろうと思う。七掬脛は馬の脛を意味して蘇我馬子を暗示しているのだと思う。






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