日本書紀の謎を解く178・播磨国造速待は大伴磐

勘違いにやっと気がつきました。
仁徳十六年桑田玖賀媛(神前皇女)が下された播磨国造速待を狭手彦としていましたが嫌われたのは大伴磐でした。

播磨国風土記・安師の里。
D6E456F6-542E-4124-97BF-7F70A7CE3C57.jpeg
このカードをよく読んでみると皇女に拒絶されたのは磐の方で、三形の方に流し下したまひき、とあります。
三形は宗像です。
それは逸文・筑前國風土記の宗像郡でわかります。
05799F83-7B3A-4AA0-8E2E-2C6104F58BF6.jpeg
しかし再び磐が狭手彦から彼女を奪います。
ただ磐は親と息子がいるので要注意です。親が奪った可能性もあります。
つまり磐、狭手彦、金村と順に奪われた可能性もあるということです。

このように継承権と財産所有権を女性が握る母性社会といえど、皇女ですら男に力づくで掠奪される存在でした。
多くの男性は母性社会を母権制社会と勘違いして拒否反応を示すのですが、女は大変弱い存在でした。


ついでに、もう一つ勘違いがわかったので記しておきます。三形に関連もあるので。
99045779-CF4C-49EA-928B-2C3CBB4700CD.jpeg
F603A9C5-42C2-42EA-901C-A39C64BC8FCF.jpeg
以前は日向髪長姫は弟橘媛だとしてきましたが、ただずっと引っかかるところが一つありました。
髪が長いということは成人してない女性を表します。
日向神長姫が吉備穴戸武姫、吉備稚媛、大河内稚子媛、源氏物語の女三宮だとすれば納得がいきます。
ただ仁徳天皇との関係からどちらでも取れるようになっている可能性は大です。大草香皇子の母なら弟橘媛で良いのではないかと思います。


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント