日本書紀の謎を解く173・口持臣と口子臣

仁徳三十年十月条に登場する的臣が祖口持臣と和珥臣の祖口子臣について。
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この仁徳三十年十月条の記録と允恭七年冬十二月の記録がよく似ているように思えるのですが、
中臣烏賊津使主と的臣が同一人物か
正直答えを出す自信がありません。

的臣と和珥臣が同一人物を意味するのかも自信がありません。
というのも日鷹吉士を狭手彦としていいのかがわからなくなったことと、
ヒメヒコは兄妹を表すのか、夫婦を意味するのかにも迷いが出てきたのです。
古代のことですから兄妹で夫婦ということは十分に考えられます。

口持臣から日鷹吉士を導くことが可能なら、
日鷹吉士は天日槍の子供多遅麻比多訶、そして倭漢直都加(掬)使主、
そして吉備大宰石川王ということになります。

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逸文・日向国風土記の文章の最後を見てください。
「之を以て知る可きか」とあります。
ここまで書いたら、さすがにわかるでしょ!ということです。



また、こららの記録から大伴狭手彦を鼠で表していることが見えてきます。
孝徳紀の「鼠の難波に向きしは、都を遷す兆なりけり」
「鼠の倭の都に向ひしは、都を遷す兆なりけり」の鼠は
彼のことではないかと思われます。





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