日本書紀の謎を解く155・邪馬台国へのルート

iPadでブログが書けなくなったので
これはいいチャンスだと
ワードで一から日本書紀の謎を書き始めました。

なかなか進みませんが。
やっぱり広い画面はいいです。
段落もゆとりを持って考えられます。
iPadではドキュメントというアプリを
インストールして書いていたのですが
キー画面で半分以上見えなくなっていたので
段落等考えるゆとりがありませんでした。


一方で
魏志倭人伝も読み込んでいます。
登場人物の分身を作るのに
魏志倭人伝も利用していた可能性が出てきたので。
魏志倭人伝は神功皇后のところで
利用されています。
これは実は倭王武の遣使のことを伝えているのです。



今私が魏志倭人伝をどういう風に解釈しているか説明したいと思います。
地図で示すとこうなりました。
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いかがでしょうか。
魏志倭人伝を読んで私が一番に驚いたのは
投馬国と邪馬壱国の人口の多さです。
投馬国が五万人、邪馬壱国が七万人です。大陸に近い北九州の国が数千人ほどでしかないのに。
そこで邪馬壱国は、古墳の規模や数でヤマトに匹敵する日向国のことではないかと考えました。
私は以前ブログの中で
ソシシの胸副国(むなそふくに)を建物の棟(むね)が層(そふ)になっている国の意味ではないかと述べたことがあります。人口7万人もの大都市だった邪馬壱国が日向襲国だったとすれば、私の推理は当たっていたことになります。
この辺りを日向と名付けられたのは継体天皇の時ですから、昔はこのようにいっていたのかもしれません。
この本(新訂「魏志倭人伝・後漢書倭伝・宗書倭国伝・隋書倭国伝」岩波文庫)の注が正しければ
邪馬壱国の役人の言い方が、イクメ、ミマキ、ナカトミで大伴金村親子の分身となります。


それから不弥国は現在の北九州の行橋市あたりではないかと考えました。
不弥国は景行紀の蹴石(ほむし)を中国人が聞いて不弥になったのはないかと考えました。


魏志倭人伝に書かれている方角は、
出発点から、まず、どちらに向かったかだけが書かれているのではないかと考えました。その後どういう方向へ進路を変更したかは関係ない。
中国の使者はそんなことはわからないわけですから。



それから邪馬台国へ水行十日陸行一月は日向から高知へ向かい紀州半島に上陸、陸行一月というふうに考えてみました。
串本あたりに漂着したら、1ヶ月はかかったのではないでしょうか。
どんなもんでしょうね。

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