日本書紀の謎を解く・137(天皇家と藤原氏)

前回紹介した天智三年十二月是の月条。

淡海国言さく「坂田郡の人小竹田史身(しのだのふびと・む)が猪槽(ゐかふふね)の水の中に忽然に稲生れり。身(む)、取りて収む。日々に富を致す。(A)
栗本郡の人、磐城村主殷(いはきのすぐりおほ)が新婦の床席の頭端に、一宿の間に稲生ひて穂いでたり。其の旦に垂頴して熟なり。明日の夜、更に一つの穂を生せり。
新婦庭に出ず。両箇の鑰匙(かぎ)、天より落ちたり。婦取りて殷(おほ)に与ふ。殷(おほ)始めて富むこと得たり。(B)


「両箇の鑰匙(かぎ)」のカギを勾大兄御子の勾と取り、神前皇女が生んだ双子は勾大兄皇子の子供と考えましたが、もしかすると大伴金村の子供の可能性もあります。

播磨国風土記・讃容郡の次の記事です。

妹玉津日女命(いもたまつひめのみこと)、生ける鹿を捕り伏せ、其の腹を割(さ)きて稲を其の血に種(ま)きき。

ですから、双子は彼女は大伴金村の子供の可能性もあるわけです。
ただここで注意してほしいのは、当時は母系制社会ですから家の継承権は母から娘へと伝えられます。つまりその子供たち父が大伴金村(中臣鎌足)の子供であったとしても何の意味も持っていないのです。父が誰であろうが一切問われない、それが基本的な母系制社会なのです。
ですから隼人である大伴一族が安閑天皇崩御後に謀反を起こしても関係ないのです。女の子さえ生まれていれば藤原氏は伝わるということです。

ただ当時は大陸との交流で父系的なものが入り込んでいて、父の血筋が良い場合はそちらも名乗り、それで複姓がうまれたことを高群逸枝氏も述べています。父が問われないというのはあくまでも母系制社会の基本的なものだということです。

そしてこのことは、私の中で、天皇家と藤原氏関するある重大なイメージを浮かび上がらせているのです。
天皇家の継承権を握った安閑天皇(兄)、春日山田皇后(妹)、神前皇女(妹、姪)の母系氏族は神前皇女が女の子を産んだことで藤原氏として生き残った。
当時の中国を中心とした東アジアの先進諸国に肩を並べるため、そして強力な中央集権国家の核となるために、父から息子へ継承される父系制の形をとった天皇家ですが、しかしその天皇家の実体、本体は母系氏族藤原氏にあるということです。藤原氏こそ天皇家そのもの、本体だったという可能性です。天皇家には姓がないといいますが、実は藤原が天皇家の姓ということになります。



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この記事へのコメント

omachi
2019年03月29日 00:27
お腹がくちくなったら、眠り薬にどうぞ。
歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)

読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。
よし兵衛
2019年03月29日 14:46
アドバイスをありがとうございます。
多分完全にツボにはまってますので、猪のように一直線に突進するしかなさそうなんです。読む時間はないかな。申し訳ないですけど。

やっぱ、私の説って気が触れた人間の説なんでしょうね。
一番最初から読んでもらうと分かると思うんですけど。

まぁ、こんなもんだろうと。_φ( ̄ー ̄ )