部族?氏族?

私の日本書紀の謎を解くを読んで、私が「氏族」という言葉を使わず「部族」という言葉を使うことを訝しんでおられる方がいらっしゃると思うので、大伴親子と大伴兄弟がはっきりわかるまでの間に、少し述べておきたいと思います。

正直なところ大学で古代史を専門的に勉強していない、古代史の専門家にすればいわば無知と言っていいぐらいの私ですから、どうも「氏族」ということが感覚的に理解できないのです。いろんな本の説明を読んだのですがイマイチピンとこない。血統に従って伝える家の称号(広辞苑より引用)「氏」の意味が前面に出てきて、氏族を理解することを妨げてしまうのです。「氏」で止まって「族」まで理解がいかない。
氏は風土記にあるように、もともと内を意味し、血縁関係のある身内が集まった部族と簡単に考える方法もあるのですが、それでも感覚的にこの時代を理解できないような気がしました。それなら部族でいいだろうという安直な考えです。
この私が、感覚的に、この時代をつかむために、自分に言い聞かせながら書いている「部族」です。


ブログの中で「部族」という言葉を何度も使用していくうちに、最近やっとですが感覚的に部族というものがつかめたような気がします。世界に残る部族社会や日本の部族社会の残滓のようなものも見えてくるようになりました。

最近世界に住む日本人を紹介する番組がありますが、その中に夫の一族が家の中に一緒に住んで生活の一切合切面倒を見なければならなくなった女性とか、女性が独身時代に貯めておいた貯金に群がる親戚とか、食事時になるとやってくる親戚とかが紹介されることがあります。これこそ未開社会に残る「部族社会」のあり方なのだと最近わかってきました。

科学が発達していなかった昔は、人間は生きるために群れて生きていかなければなりませんでした。野生動物と同じです。群れで生きるには群れを統率する部族長が必要です。そして下の部民は部族長の命令や村の掟に従って生きていくわけですが、それは部族長が一方的な強い力で部民を支配するということではなく、必ず部民を食べさせなければならないという重大な義務を負うことになります。

そこから考えていくと、おそらく世界の経済大国日本、金持ちの日本の女性と結婚したということで、自動的にこの女性の夫が部族長ということになったのではないかと思うのです。誰ゆうとなく。親戚一同を食わせる能力がある男が自動的に部族長となる。だから親戚一同が金持ちの日本女性と結婚した部族長にタカリにくるわけです。

このように考えていくと、昔の人がよく口にした「本家」こそ部族長を意味する言葉だったのではないかと思うのです。科学が発達していなかった昔は、群れで生きるために本家の言葉は絶対でした。
しかし戦後西洋をならって「自我」の発達を促す教育がなされ、また科学の発達がもたらした豊かな暮らしは人間一人ひとりがバラバラの「個」であっても生きていけるようになって、部族長の「本家」を厭うようになったのではないかと思うのです。
日本の部族社会の解体です。つまり私たち日本人はつい最近まで部族社会の中で生きていたということになります。

私の父は誕生して一年目で母親が病気で亡くなりました。それから、次から次に親族が亡くなるという不幸が重なり、父が十歳の時には曽祖母(私からみて)と二人だけが残されました。
しかし曽祖母の実家の一族が全員で父の面倒を見てくれて無事に育ちました。
曽祖母は私が生まれて丁度一年後、父の無事な成長を見届けて亡くなりました。
今、私はこれが部族なのだろうと思っています。
しかも古来より伝わる女系制氏族の名残です。

最近は部族と氏族の距離がかなり縮まってきました。
古代の氏族社会も感覚的に理解できるようになったと思っています。






今父のことを書いていてこんなことが頭に浮かびました。
今、多くの母子家庭が社会の中で孤立し大変な苦しみに中にいます。
その一つの理由として
日本が世界的に最も「個」が進んでしまったからではないでしょうか。
部族社会が残っていれば、父がそうであったように
部族で子供を育てていけばいいのです。

また、ばらばらになった「個」の間隙に
今半グレヤクザとカルト教団が忍び込んで社会を蝕んでます。
それは日本の崩壊と言っていいほどひどいものです。
私たちはもう一度人と人が結ばれることを知らなければならないのではないでしょうか。
そして力を合わせて、戦うことを知らなければ。





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