幼稚園児に躾、必要ですか

昨日のテレビで、今時の子供は昔のように躾ができてないとかで
ある幼稚園で躾を仕込むって言うのをやってたみたい。

ああいうのは、アホらしいので見ません。

というか・・・・・
ああ、また幼い子供たちの柔らかな魂が早すぎる教育や躾によって殺されてる!
他人を支配やコントロールしなければ気が済まない人間が又増える!
他人を支配やコントロール下に置き、
厳しく監視し、他人を責めることしか知らない人間がまた増える!

と感じてしまい、見るのがとても辛いのです。



こういう風に育てられた人間は社会に出た時、自分が幼いころ躾けられたように、
堂々と他人を支配しコントロールし、
他人を攻め、罵倒しつづける生き方しかできない人間と
そういうことを他人にしてはいけないことは一応頭の中ではわかっている。
でも、人々が尊重しあって生きるということや
他人との正しい距離の持ち方を教えてもらってないので
どうやって人と関わりをもっていいかわからないので、人間関係のなかで混乱し
「ひきこもる」「必要以上に距離を置く」人間と・・・・・

この二種類の人間をつくるでしょうね。



ただ、この二種類の人間に共通することがあります。
家族とくにわが子に対して暴君になります。

こういう種類の人間にとって、わが子は深い愛情を注ぐ存在ではなく
日常の生活で鬱積した不満、怒りを唯一ぶつけ
自分の思い通りに支配することができる世界でもっとも弱い存在でしかないのです。

さらに言えば
こういう人は、仮に本物の愛情を注ぐ人があらわれても、それが愛情だとはわかりません。
深い愛情と人格の尊重をもって、社会を生きるスキルを厳しく教えてくれる人があらわれても駄目です。
ただ、責められ、攻撃されるとしか思えないのです。

本物の愛情を知らないので、愛情がわからないのです。
支配・コントロール・愛情のなかで混乱するのです。

怖い世の中になったものです。


         



「最近の若い者は躾がなっとらん」とかいう老人や大人たちは
とても大き誤解をしています。

昔の日本人は、きちんと「躾」が出来ていたと思っている。

恵まれた生活をしていた人は、どうかわかりませんが
多くの貧しい庶民が「躾」したと思いますか。
できたと思いますか。
お隣さんが何キロも離れたところや山をいくつも越えたところに一家族が住んでるような
まばらに人々が住んでるところで、他人への細かい配慮、気遣いが生まれますか。
150年前まで、日本の人口はたった3000万人ぐらい。
想像してみてください。すんごい、まばらに人間が住んでたんですよ。

でも、その一方で
江戸は100万人を超える世界一の大都市だった。
京都大阪もそれに迫る人口だったでしょうけど。
こういう人口が密集したところでは、
細やかな他人への配慮、躾、美意識が生れたとは思いますが
地方に住む多くの庶民に躾ができたとは思えません。

生きるのがやっと、食べられるのがやっとの人たちに
礼節とか躾とか美意識とか、
そんなものを育てる精神的余裕はありません。

昔の日本人は躾ができた、されていたというのは嘘。
明治以降、とくに戦後庶民に教育が行き届いて「躾」が
やっと、ここまで行き届いてきたんです。
昔の庶民に比べれば、ましになったんです。

しかも、日本国内で「昔に比べれば、まし」のレベルが
世界から見ればトップクラス。
日本人のマナーの高さ、礼儀正しさが世界中から称賛される。

幼稚園で「躾」を教えるとか「最近の若いもんは躾がなっとらん。」と言う人は
この上なにが不足なんでしょう。

要するに、人を責めないと気が済まない人たちなんです。
根底に社会や他人に深い憎悪や軽蔑の感情を抱いている人たち。
すさまじい怒りの感情をもっている人たちなんです。
  

  こういう老人たちの多くは、石原慎太郎さんのような
  かつて「軍国少年」と言われた人たちだろうと思っています。
  自分自身は戦場で戦ったことがないくせに、
  めちゃくちゃ勇ましいことを言う。
  国家によってマインドコントロールされた世代で
  しかも自分は誰よりも「やまと魂」「やまと心」をもった人間だと思い込んでいる。
  私から見れば、西洋の帝国主義、軍国主義に一番染まった人間なんですけど・・・
  あれは「やまと心」ではありません。
  あの時代の人間が一番ゆがんだ偏狭な「日本人論」をもっているように思えます。
   
  そして、あの時代で重要なのは
  ヒットラー政権に接近して、ドイツ式の教育法が日本に流れ込んできたこと。
  優秀なドイツ人を見習えとばかりにドイツ式の厳しい躾と教育が日本中に広まりました。
  あの教育が、すさまじい怒りの感情の源泉になっていると思っています。
   

こんな人たちに、柔らかな魂をもった幼い子供たちをまかせようなんて
親も親です。



躾は不要だと言っているのではありません。
はじめる時期の問題で、幼稚園児に必要ですか。


昔の日本人は、子供を
「7歳まで神の子」として大切に育てました。
そして、7歳になった時通過儀礼をし、
(この儀礼の方法は地方によって違います)
そこから社会の一員として社会のルール(掟)を教えたり、躾をしたり教育したりしたんです。
幕末日本を訪れた外国人も、日本は子供天国だと言っている。

これは、脳の発達が10歳前後までかかるという事実からみても
とてもいいと思いますし
コフートの「自己愛の心理学」から言っても健全な自己愛を育てるのにとてもいい。

コフートによれば
幼児の健全な自己愛を十分に満たしてやらないと、
成長するにつれ自己愛は深く病んでしまうものらしい。
自己愛を深く病んだ人が「自己愛性人格障害」となって自分自身苦しむと同時に
ストーカー、ドメスティックバイオレンスなどで周囲の人々を困らせるようになるのだそうです。




日本は、教育で栄えて、教育で滅びる
最近つくづくと思います。








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この記事へのコメント

koko
2019年03月29日 18:47
犯罪集団は「7歳まで神の子」なので犯罪に加担させているようです。なんせ自分が「神」の自由意思の元の犯罪者集団です。
私は、子供は幼少期、くくりつけてでも厳しく教育しなければ言う事を聞かなくなる、という躾に賛成です。トイレ教育が早いと心理的に自立が早くなるそうですが、今は子供の顔色を伺うような親ばかり見かけます。だらだらいつまでも甘やかしなんでも人のせいにし生贄至上主義となるのでしょう。
現在は脳を繋ぐ技術で赤の他人に犯罪行為を行うどころか「こいつは真理の御霊だ絶対に逃がすな!」と日本語を話す気持ちの悪い子供が神秘思想に依存し被害者(私)に遠隔から声を聞かせていますが、まともな人としての自立を阻む臓器狩り習俗から抜け切れないようです。無能は無能の子供を心理的に自立させないための犯罪に手を染めさせます。
教育できない裏社会の人間達の”教育方法”が、親の無能さを子供に知られないための「人為的浮浪者生み出しビジネス」に行き着いていたようですが「浮浪者にならないための学校教育」に成り下がり学問を志す人がより減っていくでしょう。ああなりたくなければと下ばかり見せ優位性を保つ、もはや教育外の犯罪行為です。

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